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母とピアノ

先日、初めて見せてもらった 母が財布に隠し持ってた写真と昔の話。 55年前、母は音大生だった。 第二次大戦後が終わって日本がまだ貧しくて 丸亀市内にピアノが数台しかなかった時代。 母はお嬢様だった。 (でも性格全くお嬢様じゃない😅) 私が幼少の頃はピアノの先生をしていた。 でも父の自営業が忙しくなり いつの間にかピアノは弾かなくなっていた。 幼稚園の頃は母はピアノに関して厳しかった。 家ではピアノで遊んでいたけれど 覚えが遅いし、動作も遅いし、 音楽教室の扉の前で行きたくないーと ピーピー泣いてたから この子にはピアノは才能ないから 無理だと諦めたらしい。 (ヤマハの英才教育コースも落ちたし) それ以来放任主義になって ピアノの練習しろとか言わなくなった。 私が音高受験、音大受験と進路を決めるたびに ピアノはやめなさい、あんたには無理 と言われ続ける(´・ω・`) 母は大阪音大ピアノ科なんていい学校行ってるのになんだよーずるいよー…… 流石に音楽の仕事をするようになってからは やめなさいは言わなくなった。 家でガンガン練習しまくっても うるさいとは言わなかったし、 邪魔もしてこなかったら、 今となっては 密かに応援してくれてたんだとわかったけど。 でもこどもの頃はそこまで分からないよね。 私が楽器店講師をやめて 弾く仕事がしたいんだ!と言った時も 「ふーん、楽しそうでいいじゃなーい」 って感じで、あまり関心なく人事って感じだったんだ。 最近になって知った。 母は独身の頃は大阪のホテルでトリオで演奏の仕事をしていたらしい。 ホテルには若かりし頃の 石原裕次郎や越路吹雪も来ていたそうだ。 ……なんなの、なんで早く教えてくれないのよ そんな楽しそうな話。 ホテルやラウンジで弾くのは 私が小さい頃から憧れていた職業だったのにー 黙ってても娘が自分と同じ道を歩んだのは 嬉しそうではある。 母よ、もしやそれを狙ってたの? 今、母はピアノは全然弾かない。 弾けば?と勧めているけれど 昔のように弾けないのが悔しいらしい。 代わりにコーラスを歌いに行っている。 茶色くなった母の学生時代の楽譜が未だにある。 シューマンやリスト、ブラームス、などなど 楽譜の値段も数十円から数百円。 その茶色くなったボロボロの楽譜案外読みやすい。 茶色い紙は光を反射しないから目に優しい。 私の手はピアノ弾くにはとても小さい。 母の手は大きくて羨ましい。 もったいない。 私が小さい頃は母はピアノを弾いてくれていた。 母の演奏は私の真逆の大胆なタイプだった記憶はある。 娘にとって母親の生き方というのは 良くも悪くも物凄く反映されるもの。 身近な人生の先輩だものね。 私が病気になって 自分を責め続けていた時に、泣きながら母に言ったことがある。 (私が結婚生活とピアノの両立に苦悩していた頃) 「お母さんはお父さんのお店を手伝わなければ、 子育てしてなければ、ずっとピアノを弾いていられたのに!!」 母がピアノを弾かなくなったのは 私のせいだとずっと思っていたのをぶつけた。 母の返事は 「そんな事考えてたの? それは、単に練習めんどくさくなったからよ。 それだけの想いと根気がなかっただけよー」 は? よくいるただの練習嫌い? ( ˙ㅿ˙ ) ……そんな理由? 私の思い詰めは一体……( ´△`)アァ- よくあるよね、こういう親子の話😅 大抵はこどもが心配しすぎ考えすぎのパターン 親子って大抵性格が真逆よね。 隔世遺伝でおばあちゃんと中身は似るってやつで 私は堅物タイプ、母はゆるゆるフリーダムタイプ😅 写真1枚目は 母、丸亀高校時代の講堂で弾いてるらしい

2枚目は 大阪のホテル演奏仕事の時らしい

一緒に住んでると、似てるとか思わないけど ……弾いてる姿、私、結構似てるのかも 


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